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ロンパース パジャマに関する旅行記

2002暮、台湾旅行記2(2):12月11日台北へ・龍山寺、...

2010/08/29 02:08:17

<2002年12月11日(水)>

<日本出発>
 出発の2時間前、空港カウンターに7時20分集合となっていましたので、時間の余裕を見て、6時前に家を出発しました。絶対に2時間前でなくてはだめと言うことで無いのは分っていたものの、時間の余裕を見て行動した方が楽と判断しました。ゆっくり起きようとしても、早く目が覚めるのは必定ですから、朝の時間を持て余すよりはいいことです。いつも5時に目覚ましを掛けていますので、この点でも心配はありません。
 荷物造りは、例によってぎりぎりの前日にしておきました。パスポートと現金さえ忘れなければ、後は現地調達で何とかなりますので、リュック一つの軽装です。
 日本ではコートの時期ですが、名古屋空港までの間を我慢すればよいので、服装も極力身軽にしました。予備のシャツも薄手の長袖一枚、替えズボン1本だけです。パジャマは携行しないことにしました。ホテルだけは一応のクラスを予約しましたので、多分ガウンが用意されていると読んだからです。
 パスポートと現金のほかに忘れてはならないのが、デジカメです。これだけは気軽に現地調達とは行きませんので、予め充電した電池パックを含めて、2台を用意しました。126メガのコンパクトフラッシュメモリを買い足しましたので、フルメモリを使って撮影しても、800枚程度は撮れる勘定になりました。

<機中で>
 日本とは1時間の時差です。飛び立った後、すぐに針を1時間戻しておきました。3時間半余りの飛行です。時計の針を戻しても、台湾に到着するのは、午後になります。
 3時間半余りのフライト中、退屈することはありませんでした。台湾の台中に実家があるという女性の方が隣席になり、日本や台湾の話題で、話が弾みました。日本では、私の住む天白区の隣、昭和区にお住まいだと言われる方でした。台中の話が出ましたので、

 『少し前の大地震では大変だったでしょう』
 と訪ねましたら、

 『その後、台北でも大きな地震がありました。生きた心地がしませんでした』
 と、話してくれました。

『普通体験する地震は短い時間ですが、1分以上揺れが続くと、みんな壊れてしまうような恐怖感が襲ってきます。これだけは、経験してみないと分りません』

 と、具体的に体験を語ってくれました。台中の地震の方は、壊滅的な大地震だったようです。この話は、私の地元の飲み屋さんで

 『台中の工場が大きな被害を受けました。復旧の目途を立てに、これから現地に飛びます』

 と、いう技術屋さんの話を聞いていましたので、凡そ推測は付いていました。後日、そのお店で、

 『機械が全部だめでした。台座部分から動いて修理が必要でした。棚からは物が全部飛び出していました』

 と、いった話もお聞きしたことがあります。台湾で製作した部品を日本へ輸入し、完成品を作っているようで、大きな影響が出たようでした。地震の話は、

 『中部地区でも大きな地震が差し迫っています。お互いに気をつけましょう』

 と、言うことになりました。

<円レート>
 入国審査を終えて、すぐに銀行で5万円を換金しました。通常1元が4円近いレートが、3円50銭程になっていました。滞在中の短い期間で、更に円レートは上がっていました。これは、残ったお金を円に両替してもらった時に知りました。
 お土産にウーロン茶などに3万円近くを使いましたが、それ以外には、1万円と少しか使わなかったことになります。両替で、1万円札と小銭が戻ってきました。改めて、物価の安さを実感しました。
 予めガイドさんからもお聞きしていましたが、残金を円に両替するのが楽になりました。最初に円への両替をした時の明細書を請求されることも無く、手数料も安いものでした。この時、残った小銭もほとんど整理できました。

<台北到着、ホテルへ>
 台北駅で出迎えてくれたのは、ガイドさんというより、ガイドさん達でしたHISの文字幕を鉄柵に掛けて、3人ほどの人たちが迎えてくれました。名古屋からは私一人だったようです。手荷物だけなので、毎回、入国審査は早く終わります。
 結局全員が集まるまで30分近くかかりました。途中、時間がかかりそうなので、空港内の売店で缶ビールを買って腹の足しにしました。値段は27元でした。今までの円レートで換算すれば120円近いですが、このところの円の値上がりで、ほぼ100円と言ったところです。
 因みに、缶ビールの値段は日本と同じように、各地で様々です。同じ『台湾ビール』の缶タイプが、が台中駅で30元、士林の麺屋さんで40元、空港内は50元でした。ホテルの冷蔵庫ではもっと高くなり、コンビにではもっと安くなります。また、注文する時、普通の場合は『ビア』の発音より、『ビール』の発音の方が通じやすい。『台湾ビール』は、そのまま『タイワン ビール』です。ただし、ビールの漢字表記は『麦酒』ではなく、『泡』の文字が入っています。
 全員集まったところで、ホテルに向かいました。日本各地から集まった人は20名程いました。それで、マイクロバスではなく、大型バスが用意されていました。お腹も空いているところだし、ホテルに直行してくれればありがたいものの、お決まりの免税店に案内されました。
 向かったホテルは3、4箇所ありましたが、免税店を出てからは最初にハワードプラザに向かってくれました。道順とはいえ、有難いことでした。ここで降りたのは総勢3名、私のほかには若い女性の二人連れだけでした。ホテルのチェックインだけに付き添ってもらって、私だけは、ガイドさんとここで別れました。
 二人組の女性はツアーを頼んであったようで、この後ガイドさんと一緒の行動をとられるようでした。私の場合、後は帰国の日に迎えに来てもらうだけでした。この時は別のガイドさんでした。このガイドさんとは、偶然に別のツアー客を引率されているところを、故宮博物院で見かけました。免税店回りの時の雑談で
 『私は故宮の博物院は少し苦手です。30分もすると飽きてしまいます』
 と、話されていました。仕事の上とはいえ、頻繁に故宮博物館を案内されるのは御苦労様なことです。

<MRT一日乗車券>
 後でガイドブックを読んでみたら、何でもないことでした。しかし、MRT一日乗車券を使ってみようと思ったのは、空港からホテルまで送ってくれたガイドさんが

 『MRTには一日乗車券もあります』

 と、紹介してくれたのがきっかけでした。

 『その乗車券はどこで買えばいいんですか?自動販売機でも買えますか?』

 と、質問したのに対し、

 『自動販売機では売っていませんが、改札口のところで駅員さんに頼めば買えます。ワンディ・チケットといえば分ります』

 とも教えてくれました。その話をお聞きして、初日の11日から出発日の14日まで、4日間とも一日乗車券を買い求めました。半日か使用できない日もありましたが、十分に元は引けました。ともかく、MRTの全路線を利用したほか、晩酌のお店への移動にも利用しました。
 4日とも一日乗車券を買い求めたのは、ホテルからの最寄りの忠孝復興駅でした。毎日駅員さんは代わっていましたが、ガイドさんに教えてもらった通り『ワンディ チケット プリーズ』で話しが通じました。
 ただ一回だけ、200元のお札を先に出しましたら、切符ではなく、コインに両替をしてくれました。改めて『ワンディ チケット プリーズ』と顔を見て頼みましたら、すぐに話が通じました。今、両替してもらった50元のコインを3枚出しました。お釣りなしのぴったりの料金です。
 MRTは30元区間が多いので、5回乗れば一日乗車券の元が引けます。実際に乗車したのは、半日の場合に、丁度か少しおつりが来る程度、一日の場合はその倍くらいは使いました。切符を買う小銭の用意はいらないし、安くて便利でした。
 一日乗車券で乗降する時は、駅員さんに日付のスタンプを押したチケットを見せて、専用の出入り口を利用します。専用の出口が遠かったりすると、車椅子用のゲートを使わせてくれる時もあります。ただし、工事や掃除などの駅関係者の人も出入りが多いので、時々、別の警備の人にチケットのチェックをされることもあります。今回、何十回かの改札の内、2回チェックを受けました。
 台中へ出かけた以外はMRTを使用しましたので、4日間で600元、実勢円レートで2100円程が4日間の主な交通費用です。それ以外では、故宮博物院への片道タクシー代だけで、これが125元でした。この時は、チップを含めて150元支払いました。
 因みに、タクシーの場合、以前は10%程度のチップが必要でしたが、今はメーター料金だけを支払えばよいそうです。このことも、現地ガイドさんからお聞きしていました。ただし、台北だけの事かも知れません。

<地下鉄マナー>
 台湾での地下鉄マナーは優れています。高架部分とあわせMRTと呼ばれていますが、治安も全く問題がありません。例えば、韓国の地下鉄のように、物売りが乗り込んでくる事もありません。どうやら、穏やかな気候の中で育まれた国民性が、そのベースにあるようです。
 エスカレーターには、片側通路を空けるように表示が有ります。日本では通勤時間帯に、急ぎの人用に、自然と出来たマナーです。違う点は、表示があることと、日本と違って向かって左側を空ける事です。このマナーはほぼ完全に守られていました。
 もう1つの点が『飲食禁止』です。これは車内だけでなく、MRT構内全部です。違反者には『150元の罰金』のステッカーが貼付されています。たまたま、一日乗車券と同じ金額である。飲食禁止なので、車内禁煙であることは当たり前のことです。
 清掃の面でも行き届いていて、塵1つ落ちていません。清掃がしっかりされているのでしょうが、マナーの点でも身に付いたものになっているようです。野暮な『塵捨て禁止』の張り紙は見なかった気がします。

<龍山寺>
 免税店に立ち寄ったために、昼食の時間は大分過ぎてしまいました。それで、ホテルを出たあとは、龍山寺駅まで移動する事にしました。この界隈では、小さな屋台店が昼間から営業していたのを覚えていたからです。
 龍山寺へ行く前に、門前町のようなところで昼食を摂りました。臨時の建物に多くの店が犇いている中に、海苔巻と稲荷寿司のパックがありました。夜のことを考えて、少し軽めの食事に決めました。店の横には複数の店が共用する椅子と机がおいてあり、道行く人を眺めながら遅い昼食でした。
 眺めたと言うより、眺められていたのかも知れません。日本の海苔巻と、多少の味の違いはありますが、見た目も味も余り変わりません。韓国でも海苔巻を『キンパブ』、『海苔ご飯』として売っていますので、アジアでは共通の食べ物になっているようです。そのルートを調べたことは、ありませんが、日本が起源かも知れません。もしそうなら、死語になった『八紘一宇』の名残でしょう。値段は50元、200円弱でした。
 1年ぶりの龍山寺は、相変わらず善男善女、老若男女で混み合っていました。椅子に腰掛けた、暇そうなご老人達も一緒の風景でした。

 『このご老人たちは、近所に大邸宅を構える大金持の人達ですよ。ここではみすぼらしい格好をしていても、邸宅に帰ったら、ご馳走が待っている人達です』

 と、昨年の旅行の際にガイドさんからお聞きしたことを思い出しました。

 『合格祝いに多額の寄付をされる学生さんの親御さんたちが大勢いるので、このお寺は裕福です。お賽銭は要りません』

 とも、昨年ガイドさんが教えてくれました。宗教書、道徳書の類を無料で置いてあるのも昨年と同じでした。それで、今回も荷物にならない小さなポケット版の本を1冊頂戴しました。観世音菩薩像の写真が入った、お経の本です。謝々。

<MRT新店線西端、東端駅へ>
 夜、またこの龍山寺へ戻ってくる予定ですから、昨年の記憶を呼び覚ますために、華西街観光夜市が立つあたりを早歩きで回ってみました。記憶は確かで、晩酌の店もすぐに見つかりました。 勿論、まだ市は立っていませんし、その店も営業前でした。
一日乗車券でMRT駅に入る時も、駅員さんに日付印が押されたチケットを見せて専用ゲートの鍵を開けてもらいます。電磁石で開錠や施錠がされるようで、駅員室からの遠隔操作です。
 MRT一日乗車券を買った時から、滞在中に全路線を走破する予定にしました。手始めに東西線の西端の新浦駅です。龍山寺駅から2つ目の駅なので、すぐにたどり着きました。裏道にも回ってみましたが、余り特長のない街の様に思えました。駅前の案内看板に、お寺の記しがありましたので、こちらにも足を運びました。『大仏寺』でした。
 ところで、東西線と言うのは正式の名称ではなく、私が便宜上つけたものです。正式には台北駅の1つ西の西面駅から西が板橋線、東が南港線と呼ばれています。板橋線は終点の新浦駅まで、3区間だけの短い区間です。その先は建設中の区間になっています。南港線は東の終点昆陽駅まで10区間です。台北駅をはじめ市内の中心部を走っていますので、多分最も乗降客が多い線路でしょう。
 新浦駅からは、東の端の昆陽駅に向かいました。その間13区間、乗り換えなしで30分程かかりました。こちらは町外れの雰囲気がありました。更に遠くへは、バス路線が交通手段とされているようでした。そのバスターミナルのような施設がありました。
 この時を含めて、何度も地下鉄に乗りましたので、凡その距離感、車内アナウンスも少し分るようになりました。それで、多少の余裕が出てきた気がします。西面は『シー メン』、龍山寺駅は、『ロン シャン スー』に聞きとれました。台北駅は『タイペイ ステーション』と英語のアナウンスもありました。

<馴染みのお店>
 昆陽駅についた頃は明りがともり始めていました。郊外からの通勤者の拠点になっているのでしょう、バスターミナルがありました。通りは広く、新しく出来た町か、再開発された区域でないかと思いました。
 夕暮れになれば、晩酌の時間です。途中の駅で降りれば、ホテルに戻れましたが、MRTにそのまま乗車して、龍山寺駅に向かいました。
 昨年、夕食を摂った店は、昼間に場所を確認しておきましたので、直ぐに探し当てました。夕食と言うより、晩酌のお店です。1年振りに出会った店のママも良く覚えていてくれました。
 去年とは店のスタッフが2、3人入れ替わっていました。それで、お酒の注文を聞いてくれた若い女の人は『紹興酒』ではなく、『高粱酒』を出してくれました。まだ飲んだ事が無い酒でした。麦酒と一緒に出されたこの酒は、焼酎くらいの度数と思ったのが間違いでした。泡盛クラスの50度を超えていました。2合壜くらいのサイズでしたが、半分以上を残してしまいました。麦酒が水代わりになる強さでした。
 料理の注文は簡単でした。ママが良く覚えていてくれたので、ガラスケースのネタを指差して注文しました。筆談も必要ありませんでした。付出しに浅利の唐辛子漬け、蝦の炒め物、イカ料理などを頼みました。付出しは直ぐに運ばれてきたし、あまり混んでいない早い時間でしたので、それ以外の料理も直ぐに出てきました。
 入れ替わったスタッフの一人が店先で調理をする人で、去年は店主と思しき人と、もう一人男性の人がいましたが、今回は店主一人でこなしていました。左手首に少し包帯をしていたので、重い中華鍋で、筋でも痛めたのではないかと、少し心配になりました。

<華西街夜市>
 食事の後は、華西街観光夜市を見学しました。台湾滞在中、何度か『台湾の景気は、日本と同じで悪いです』と聞いていましたが、悪い中でも夜市だけは別のようです。いつもの活気がありました。『毒蛇料理』の看板は健在で、目の前で蛇を捌くのを見学できました。ただし、この店も去年いた、生きたイノシシが檻ごとなくなっていました。
 夜市に限らず、店の数で増えたのが『台湾式マッサージ』の店です。たいていの店は、前面がガラス戸で、すべて中が見えるようになっていて、リクラインングシートに体を伸ばして、足壷から全身マッサージをやっていました。おそらく人件費だけで成り立つ商売であり、店を空けておくよりはマッサージでもと言った風に見えました。
 どの店も混んでいるところは見当たりませんでした。そう言えば空港で迎えてくれたガイドさんが、

 『台湾では2、3ヶ月講習に通えば、マッサージの資格が取れます。いい腕の人たちばかりとは限りません。首筋を痛めたり、色々トラブルも起きています』

 と言ったあと、

 『皆さん方はちゃんとした信用のある店に行ってください』

 と、全員に店の電話番号と場所が書いてあるパンフレットを渡してくれました。なるほどと、この時のことを思い出しました。それにしても、大変な数のマッサージ店です。
 夜は、夜市で買ってきた甘栗をツマミに、オールドパーの水割を飲みました。いつもの事ながら、オールドパーは名古屋空港の免税店で買い求めたものです。腕時計プレゼントセールで、1リットル壜が4千円でした。甘栗は30元ほどの値段でしたが、食べても、食べてもなくならないボリュームがありました。1kgか、もっと量があったようです。オールドパーの残りはホテルに置いてきましたが、甘栗は日本へ持ち帰りました。

2004秋、中国旅行記5(30):11月5日(1)上海・豫園...

2010/08/29 10:08:29

<2004年11月5日(金)>

 第1陣からご一緒だったMyちゃんの帰国日です。10時30分のフライトなので、2時間前の8時半には上海空港へ着いておく必要があります。それから逆算すると、7時半頃には出発しなければなりません。

<朝のお別れ、朝食>
 昨日のOgさんとEnちゃんの会話を漏れ聞いて仕舞いました。翌朝早くMyちゃんが帰国するので、Ogさんが早起きして朝食を作られるといったことでした。
 その日のメモでは、7:00起床・洗顔、7:30お見送りとありました。旅行中、ほとんどメモは取りませんが、時刻だけは記憶しようがありませんので、時々メモしています。着替える時間がありませんでしたから、失礼ながら、パジャマ姿でお別れしました。
 空港まではEnちゃんが同行されました。お父さんの専用車と運転手さんが迎えに来てくれたようです。私は、道路までは出ませんでしたから、確認はしていません。
 そんなことで、Ogさんが作ってくれた朝食をご馳走になりました。ご飯に味噌汁、ピクルス風の漬物と、思わない和定食を楽しみました。

<2回目の洗濯>
 Enちゃんの帰りは10時頃になりそうだとの見当から、朝の時間に余裕が出来ました。
 それで、昨日、うっかり洗濯忘れをした分を追加で洗濯することにしました。洗濯機の使い方は、もう完璧です。天候は少し怪しくなってきましたので、干し場を移動して、1階の駐車場にしました。これなら、乾きは遅いものの、外出中に雨が降っても大丈夫です。
 Enちゃんは、Myちゃんの出国をお見送りして、10時頃に無事帰宅されました。洗濯も終わって、出発準備も完了していました。この時のメモには「10:30分、豫園に出発」とだけ記されていました。

<上海市の模型>
 上海の大掛かりな模型展示場があると言うので、この展示場にやって来ました。豫園の前に見学したのか、その後だったかは、少し記憶があいまいですが、写真の順番から、こちらが先だったようです。ビルの名前は覚えていませんが、人民広場近くです。有料で入場した展示館の1階フロアー一杯に、大小さまざまな模型が展開していました。
 河、橋、ビル、道路などが忠実に縮小モデルになっていました。分かりやすい黄浦江を基準にそのモデルを観察すると、ある程度上海の主要な私設、地域が見えてきました。その中には既に見学を終えたものもありました。分かりやすい建物は東方明珠塔、大茂大厦などでした。豫園は少し分かりにくかったものの、黄浦江の西岸に近い位置で見当がつきました。
 泊めて貰っている君臨頤和花園は模型の範囲から少し離れているようで、確認できませんでした。模型の一番南の橋より、もう少し南の橋を西に渡った位置になるようでした。Enちゃんの実家のマンションは良く分かりました。その近くにある、昨日の最高実力者の隠居宅の公園も見当がつきました。
 模型がまだ完成していない河沿いの地域がありましたが、これは万博予定地でした。既に日本、ブラジル、韓国などの国旗が記され、展示場が確定していました。

<昼食のお店での出来事>
 昼食は豫園界隈のレストランにしました。ワンタン、焼きそば、小籠包み、チャーハンを1品づつ頼んで、分け合って食べました。焼きそばは油が分離して余り美味しくなく、小籠包だけは、出てくるまでにやたらと時間がかかってしまいました。総じて、余り印象の良くない昼食になりました。
 そんな中で、印象に残ることが2つありました。その1つは一人子政策の歪みたいな光景でした。両親、双方の祖父母の6名で無理やり食べさせられて超肥満になった男の子がいました。テーブルを軽く一回りしては、もう一度食べさせられていました。Ogさんに少し頭をよけていただいて、そのテーブルを写しました。ズームの方はピントがずれました。
 もう1つの光景は、子守のメイドさん付の食事風景でした。メイドさんはフィリピン辺りの中国にとっての外国の若い女性でした。相当の貧富の差が生じているようでした。

<再び豫園>
 食事の後、14時に集合することで自由行動の時間になりました。私は早速、豫園に入場し写真を撮りました。前回の見学のときは豫園周辺の写真でしたから、今回は中の庭園等の写真です。
3、40分で60枚ほどを撮って集合場所に集まりました。皆さんもほぼ用事を済まされたらしく、スターバックスでコーヒーを買って車に戻りました。因みにミディアムサイズのホットコーヒーは15元でした。日本円換算では200円弱ですから、外国製品は高めになるのでしょう。
 ところで、このとき撮った豫園の写真は、中国旅行記(1)「西安と上海を訪ねて」の改定版に使用する予定です。1997年の旅行ですから、7年ほど前になります。第1陣との見学の項目で、既に触れました。
 写真を撮りながら駆け足での豫園見学でしたが、さすがに名園の誉れ高く、どの角度で切り取っても絵になる風景でした。

<自由市場での買い物>
 第1陣と訪れたときは旅の初めでしたから、買い物は極力控えました。しかし、今回は買い物が目的で自由市場にやって来ました。皆さん達とのコンビで、実に楽しい、お値打ちな買い物をしました。紹介します。
 最初にOgさんのブーツです。確か680元の値札がついていました。最初は400元当たりから、なかなか値段が下がりませんでした。Ogさんが隣の店で別の品を探す素振りをして、結局200元まで値引きが出来ました。ミンクオイルを塗って愛用されています。
 1つの目安が1/3の値段でしょう。Taさんの靴も値引きに成功しました。私も店の電卓を探して、値引き交渉を応援しました。
 次は若ウサギの襟巻きです。定価が150元から180元といったところでした。日本円で2千円前後の品物です。これを最初は50元程に値切って喜んでいましたが、最終的には纏め買いで30元まで値切ってしまいました。1/5~1/6の値段です。
 さすがにここまで値切ると、少しお店の人が可哀想になりました。日本円で400円以下でした。
 私の場合、平均価格40元で10本買い求めました。もう既にプレゼントしましたから、手元にはありません。Ktさんが50元で買い求めた首飾りが欲しくて、その店に案内してもらいました。Ktさんを前にして、直ぐに45元になりました。しかし、30元を提示したら、売らずに仕舞われてしまいました。この値段では儲けが出ないことが分かりました。
 実は豫園近くでは、玉の買い物をしました。最初の値段は1860元でしたが、1/10以下の150元に値切りました。5cmほどの象の置物ですが、鼠地に肩にかけて茶色が入ったところが気に入りました。紫檀の台付です。店の人がガラスに傷を付けて確認した品です。手に持った重たさから見て、まず本物でしょう。これは手元にあります。

<盲流の人達>
 「盲」の文字は日本では差別用語とされています。漢字を別の漢字で置き換えるのも難しいので、止む無くそのまま使います。
 「盲流」はそのまま熟語で使われているようです。正確な定義は知りませんが、「都市へ職を求めて地方から流入する定職、定宿を持たない労働力」といったところでしょうか。1600万人の上海市民に対し、上海での戸籍(住民権)を持たない人が400万人と言われています。日本で言えば、昔の「おのぼりさん」が似ているようですが、こちらは職業や宿泊拠点はありましたから、やはり少し違うようです。
 夕食の前に上海駅付近でこの盲流の集団を見かけました。車から降りて見学するわけにはいけませんので、車の中から写真を撮りました。気の毒なので、この小冊子への掲載は差し控えました。
 道路建設やビル建設現場での仕事が生活基盤のようです。こんな形での生活では、成功する人の確率は、宝籤に当たるように難しいと、お聞きした記憶があります。

<ディナーショーの夕食>
 孫濱先生と奥様の楊先生とは、31日に続いてもう一度食事をご一緒する機会がありました。お店の名前は「紅子鶏美食総■」でした。写真の略字から読み解きましたから、少し(大分?)違っているようです。
 2階の席を合わせると2千人とか、3千人収容とか言われる超大型店でした。注文は値段がついた見本でできました。驚いたのは、料理運びにローラースケートを履いた店員さんが飛び回っていました。
 ディナーショーは、この店員さん達と、正面舞台での舞踊がありました。ウイグル自治区出身の娘さん達とお聞きしました。
 上海蟹も出ましたが、私の食べ方が下手だったので、Ya先生が身の出し方を教えてくれました。改めて謝謝。美味しい料理と、ディナーショーの食事でしたが、結局、S.P.先生にみんなご馳走になって仕舞いました。S.P.先生にも改めて謝謝。


 旅の友見送る朝の寂しさよ無事の帰国を祈りし握手

 無事帰着便りの届く近き国上海巡る旅は続けり

2006新年、中国旅行記8(10):1月29日(1):上海・...

2010/08/29 05:08:18

<2006年1月29日(日)>

 今日が、旧正月の元旦です。昨晩遅くまでPnPnちゃんとSnSnちゃんご兄弟と、Ogさんとご一緒に話が弾みましたから、大晦日に相応しい夜更かしになりました?
 ここで、旧正月について少し説明をしておきます。現在の日本では旧暦の1月1日である旧正月の風習が次第に廃れ、太陽暦の1月1日が、お正月としての年始行事がされるようになりました。
 しかし、旧暦の正月は中国だけでなく、お隣の韓国でも同じように今でも祝われています。
 ところで、旧暦の正月、旧正月は毎年日付が変わります。今年2006年は、1月29日が元旦でしたが、昨年は2月9日でした。これから4年間の日本の旧正月は、2007年は2月18日、2008年は2月7日、2009年は1月26日、1010年は2月14日の予定です。
 日本と中国では、旧正月と日付が異なることもあるようです。これは日本との時差の影響により生じるものとされます。

<早朝の見送り、一寝入り>
 一足先に帰国される皆さん方を、パジャマ姿のお見送りで失礼しました。早朝からチョウさんが愛車のワゴンで迎えに来てくれました。チョウさんのご自宅からは1時間ほどの距離とお聞きしています。多分、昨晩、というより今朝まで大晦日を楽しまれていたことでしょう。これは、昨年の話から創造したことです。
 霧が濃い朝でした。後で、エンちゃんからお聞きした話ですが、空港へ向かう道路も濃い霧で大変だったようです。無事に空港へ到着できるかどうか心配されて、車内は静かだったと、チョウさんからの電話があったようです。結果は、無事に空港到着できました。
 お見送りした後は、Ogさん、Enちゃんと話し合って、もう一寝入りすることに決めました。

<頂戴した孫文役の写真>
 今回の旅行では、S.P.先生から素晴らしいプレゼントを戴きました。以前にEnちゃんやOgさんからお聞きしていましたが、今回、孫文役で主演された映画の写真を見せて戴き貰い、その1枚を戴くことになりました。約20年前の出演とお聞きしました。その写真の裏にはサインも戴きました。頂戴した写真はスキャナーで取り込み、巻末に収録しておきました。
 この項目に収録したセピア色の写真は、孫文故居の売店で買い求めた絵葉書の写真です。こちらは、孫文ご本人ですが、S.P.先生の孫文役の写真は、当時の服装やメーキャップでした。1915年の東京での宋慶齢さんとの結婚の時の写真も、そっくりのポーズの写真を見せて頂きました。
 S.P.先生が、宋慶齢故居、孫文故居の電話番号も調べて頂きました。その電話番号でEnちゃんが確認されました。元日ですが、開館していることが分かりました。昨年の旧正月の折の、魯迅に因む旧跡の見学に続いて、私にとって願ってもない見学先でした。

<宋慶齢故居へ>
 インターネットで探した宋慶齢故居(コンテンツ・オールド上海)についての記事から紹介しておきます。
 『住居を記念館にするために香山路の家を出た宋慶齢は、東平路15号にある一戸建ての洋館に一時期住んだ。当時は抗日戦争終結間もない頃で、1941年に太平洋戦争が終結し、中国各地にいた米国人・英国人たちが上海に戻ってきたため、東平路の宋慶齢宅も居留民に返すことになった。住居がない彼女にたいし、国民党政府は林森中路の住宅(現・淮海中路1803号)を調達し、宋慶齢はこの家に引越した。この林森中路の家は20世紀初頭にドイツ人商人が建てたものを言われる。(中略)その後、この家は(中略)英国人医師が住居兼診療所として買い取ったが、1914年12月7日に太平洋戦争が勃発し、この英国人医師も日本軍に捕まって収容され、母国へ送還された。(中略)そして、宋慶齢の住居になった。宋慶齢国家名誉主席が逝去された後、この家は上海市重点文物保護単位に指定され、「上海宋慶齢故居」として一般開放されるようになった。敷地面積4千3百平方米、3階建ての洋館の建築面積は7百平米。館内は彼女の生前暮らしたのとほぼ同様に保存してある』
 と、記されています。20世紀初頭にドイツ人商人が建築されたものが起源のようです。
 3m以上はあろうかという、高い塀が故居を取り囲んでいました。その入口近くの塀をくり貫いて、チケット売り場の窓口がありました。門を潜った左側の詰め所では、兵士が警備に当たっていました。歴史的に重要な史跡ですし、貴重な展示物も数多くありますから、警護が固められているのでしょう。
 入館した右手の建物の前に宋慶齢の白い坐像がありました。記念撮影をした後、その記念館の見学をしました。外部の撮影は許可されていましたが、内部の展示物などは撮影禁止でした。
 宋慶齢に因む展示物が、数多くありました。写真、文書、生活用品等々でした。あたかも、中国の歴史が縮小して展示されているような密度の濃い品々でした。コピーやレプリカではなく、実物展示の迫力です。
 1915年に、日本に亡命中の孫文と、東京で結婚されたとされますが、その時の誓約書も現物が残っていました。仲人との3者連名の契約書のようなものです。3枚にそれぞれ署名、捺印し、1通づつを保有した内、宋慶齢さんが保管しておいた分でしょう。
 履物の上にビニルのカバーを付けた上で、室内の見学もできました。国内外の要人が訪れたと言う歴史の重たさを肌で感じる見学でした。毛沢東、スターリン、金日成からの贈り物や、記念写真等がありました。歴史的評価はおくとしても、歴史の現場に立ち会ったような感慨が湧く見学でした。

<孫文故居へ>
 同じように、インターネットで探した孫文故居(コンテンツ・オールド上海)についての記事から紹介しておきます。
 『1918年、上海旧フランス租界の莫利哀路(現・香山路7号)の住宅が孫文・宋慶齢夫妻に送られ、この家が彼らの上海での住居になった。1925年3月12日に孫中山が北京で没した時も宋慶齢はこの家にいた。1946年、国民党が孫中山逝去21周年を記念し、香山路の住宅を「国文記念館」にすることを決定。宋慶齢も引越しに同意し、夫と共に長年住んだ家を離れた。1949年以降、国文記念館は孫文故居と改名し、一般開放されている』
 と、記されています。前後しますが、孫文についても略歴などを紹介しておきます。
 『1866~1925 近代中国のブルジョワ民主主義革命の推進者、政治家。字は徳明。号は逸仙・中山。中山樵・高野長雄の日本名をも使用。広東省香山県(現中山県)生まれ。1878年、兄孫眉を頼ってハワイに渡り教育を受ける。一時帰郷し、1883年以降香港で医学などを学ぶ。(中略)日本・アメリカを経て、1896年ロンドンで清国公使館に捕えられたが、香港時代の旧師カントリーなどの助けで釈放され、(中略)1897年来日。(中略)武昌で辛亥革命勃発。アメリカで革命宣伝活動中であったが、イギリス・フランスなどで引き続き活動後帰国。1912年南京で中華民国臨時大総統に就任。北方の袁世凱政権と交渉の結果譲位。(中略)1915年宋慶齢と結婚。同年袁の帝制復活に反対して雲南で挙兵した護国軍の第三革命に呼応。1919年中国国民党結成。(中略)労働者・農民に注目し国民党改組により国共合作を進め、1924年中国国民党第1回全国代表大会を開催し、いわゆる「連ソ・容共・扶助労農」の政策を確立。1925年北京で病没』
 かなりの部分を割愛しましたが、まさに波乱万丈の生涯でした。孫文の死後、国民党と共産党は分裂し、三民主義は別の解釈が与えられることとなりました。
 国民党は『三民主義』に儒教的解釈を加えて反共理論的内容を与え、一方、毛沢東は『新民主主義論』(1940)の中で、『三民主義』は提唱する新民主主義と、基本的には一致すると述べました。
 毛沢東によれば、植民地、半植民地、半封建的性格をもつ中国における革命は新民主主義革命と社会主義革命の2つの段階を経るとされます。新民主主義革命は、基本的にはブルジョワ民主主義革命ですが、プロレタリア階級の指導のもとに広範な統一戦線によって推進され、帝国主義、封建主義の支配を覆すことを目的とする点で、古典的なブルジョワ民主主義革命とは異なると解釈されます。また、新民主主義革命の結果誕生する共和国は、社会主義共和国への過渡的な形態とされます。新民主主義とはこのような新民主主義革命の結果生まれる政治・経済・文化の総体を表す言葉と定義されます。
 話を故居見学の方に戻します。チケット売り場は、故居の向かいにある別棟でした。ここでも、履物の上にビニルのカバーを付けて、建物内部の見学が出来ました。宋慶齢故居では2階は立ち入り禁止でしたが、こちらでは、見学コースに入っていました。
内部はちょっとしたアンチークの館と言うほど、当時のままに居宅が整備、保存されていました。略歴のところで紹介しましたように、1880年代に、香港で医学を学んだ経歴があり、その手術道具も、中身が分かるように展示されていました。リベットでタンクが造られたボイラ設備も残されていて、建物自体の見学も見応えがありました。
 ある程度人数がまとまったところで、女性のベテランガイドさんが案内をしてくれました。Enちゃんの通訳付きですから、分かり易く見学できました。入口近くにお土産店がありましたから、孫文とオールド上海に関する絵葉書を買い求めました。
 S.P.先生に見せて戴いた孫文役の写真とそっくりのシーンや、メーキャップ、衣装などに興味深いものがありました。

<地下のお店での昼食>
 2つの故居を見学したところで、昼の時間になりました。孫文故居の前にもレストランがありましたが、残念ながら閉館日でした。それで、中心街まで出ての昼食となりました。
 軽い食事の方が良かったので、喫茶店風の店を探しましたが、元日でお休みでした。結局、飛び込みで入ったお店は、ビルの地下の大衆店でした。それぞれに写真を見ながら注文しましたが、私は焼きソバにしました。青島ビールとツマミの品も頼みましたから、軽くない、お腹一杯の食事になってしまいました。
 このお店では、食事以上にお客さんの仕草や、家族風景で楽しませて頂きました。私達が美味しく食べたり、飲んだりしていたためでしょうか?後から見えた方は、こちらを指差しながらメニューを決めたり、違ったものが出てきた場合は、家族で揉め事になっていました。

<東湖賓館でアフタヌーンティ>
 食事の後、ホテルでのアフタヌーンティを楽しもうと言うことになりました。最初は、花園飯店が候補に上がりましたが、昼食の場所から、余りに近過ぎましたので、更に西の方角へ歩きました。お昼に少し食べ過ぎたためです。それで、Enちゃんが予め調べていた東湖賓館に向かうことになりました。
 東湖賓館については、帰国後、Enちゃんからお借りした中国旅行雑誌「CHAI(チャイ)」の2006年3月号から紹介しておきます。東湖賓館についての特集記事がありました。
 『かつて「杜公館」と呼ばれたこのホテルは、オールドシャンハイを影で支配したシャンハイマフィアの老大(ボス)・杜月笙に贈られた邸宅だった。(中略)1988年、杜月笙は現在の上海浦東新区に生まれた。当時はスラム街だった。(中略)アヘン密売や賭博の元締めの秘密結社「青幇」の陳世昌と知り合い、メンバーとなる。そこで頭角を現し、黄金栄、張杜月笙嘯と並ぶ暗黒外のビッグスリーとなった。(中略)1927年、蒋介石の革命を援助したことで、政界、軍閥にも顔を利かせるようになった。上海市議員、国民党軍少将などとして表舞台に、(中略)フランス租界に入りこむことにも成功し、(中略)1930年代、国民党政府は  「航空奨券」と呼ばれる宝くじを発行、杜は、その裏情報を同士の金延■に流し、金は多大の財産を手に入れる。そのお礼として金が杜に贈ったのが、現在の「東湖賓館」だった』
 と記されています。建設費用は30万ドルだったとされます。更に、
 『抗日戦争終結後、国民党軍がこの邸宅を占用し、その後はアメリカ新聞処に60万ドルで売り渡され、後に、アメリカ領事館としても利用された。杜は、この新居で1日も生活することのないまま、1951年、香港で63年の生涯を終えた』
 その後、1982年に杜公館は「東湖賓館』と改名、江沢民、朱鎔基など歴代の国家指導者、クリントン大統領を始めとする各国元首も宿泊した、歴史ある建物です。一般開放されたのは、最近のことのようです。その時期は、特集記事にも載っていませんでした。
 夕食までには、時間がありましたから、ゆっくりと1階のレストランでアフタヌーンティを楽しみました。窓の外に見える庭園の眺めも落ち着いた雰囲気でした。少し軋む板張りの床が、歴史の重たさを体感させてくれました。チャイに掲載されていた写真を紹介しておきます。

<鼈料理の夕食>
 東湖賓館でのアフタヌーンティを楽しんだ後、Enちゃんがお父さんのS.P.先生と約束されていた鼈料理のお店へと、タクシーで向かいました。S.P.先生は、既にお友達と利用されたことがあり、鼈料理が美味しいからと、お誘いを受けていました。
 お約束の時間よりは、少し早く着きましたが、S.P.先生たちも早くお店に見えましたから、殆ど待ち時間はありませんでした。昨年もEnちゃんからお聞きしたことがありましたが、メニューを決めるのに、最低30分は使うので、早めに来店するのが、マナーのようです。
 鼈のメインディッシュは既に決めてありましたから、その他のメニュー選択です。Enちゃんが教えてくれたことでは、『先日オーナーの友達と一緒に美味しい鼈料理をご馳走になったので、その時と同じように美味しい料理を作ってください』と係りの方に、冗談を交えて話されていたようです。
 飲み物は、最初に青島ビール、そのあとは上海老酒の石牢門にしました。1939年の年代が入ったブラックラベルです。中国料理には紹興酒が良くあいますが、この石牢門のブラックラベルは、特に好きになった紹興酒です。
 さて、その鼈料理ですが、少し小振りではありますが、なんと一人1匹ずつ皿に乗って運ばれてきました。透明のビニルの手袋付きです。これを左手にはめて、手掴みです。大きな蟹を食べるときの要領です。S.P.先生から、甲羅の部分を折って、この中に入っている白くて細い髄を食べるように、髄の現物を見せて教えて貰いました。
 料理方法の詳しいとことは分かりませんが、蒸しに焼きが加わった手間が掛かる調理のようでした。タレの味も丁度良く、残すところは殆どありません。S.P.先生に教えて戴いた髄だけでなく、甲羅の周りのゼラチン状の部分も残さず平らげました。
 値段のことを書いてしまうと、ツアー旅行社の方にも申し訳ないですから、伏せておきます。黒ラベルの紹興酒だけでも100元(約1400円)近くしますのに、信じられないようなお値段でした。このお店では、全てS.P.先生に美味しいディナーをご馳走になってしまいました。改めてお礼を申し上げます。有難うございました。帰りに、Ogさんのカメラをお借りして、生簀の魚の写真を撮っておきました。

  宋慶齢故居
 鬱蒼と古木の囲う庭園にセピア写真の主人重ねる

  孫文故居
 暖き日の射す故居の藤の椅子孫文座せる温りのあり

  鼈料理の店
 手掴で食する鼈味深く会話途絶える暫の間

なみお&みすたぁのなんちゃって世界一周旅行 カナダ・トロント...

2010/08/26 02:08:03

①トロント PART I

05/25/09

昨夜遅くにトロントに到着したなみお。疲れ過ぎていて、夜メールチェックが出来なかったから、朝メールチェックをする為、受付に向かった。カオリさんと夕方にでも会って、一緒にディナーが出来たらなぁと思っていたのだけれど、どうやら彼女は、なみおのトロント到着日を勘違いしているようだった。「トロントに22:30頃着いたら、そのままご飯に行こう♪」という内容のメールで、ヤバイと思った。きっとまだ寝ていてこのメールを読めないだろうと思ったけど、念の為、メールをして、彼女のステイするあのイマイチなホステルに直接行ってみようと思った。彼女もうちらが出会ったあのホステルから出たいと思っていたのだけれど、交通の便がいいので、迷った末、引越し先が決まるまでステイしようと思ったらしい。

ホステルに到着すると、カオリさんは、パジャマのまま、ダイニングルームでちょうどPCに向かっているところだった。「グッドタイミング♪」と思い、「おはようございます!!」と声を掛けると、かなりビックリした様子の彼女。どうやら、ちょうどなみおのメールを開き、タイトルの「おはようございます!!」を読んだと同時になみおが挨拶したもんだから驚いたらしい(笑)

アパートが決まったらしいカオリさんは、昼過ぎであればフリーになるらしく、午後、一緒にトロント散策をする約束をして、なみおは1人「CNタワー」に行ってみることに。「CNタワー」は、展望台の高さでは世界一を誇るタワーで、値段もかなり高め。でもきっとトロントに来ることは、もうないだろうから奮発して、上ってみることに。なみおがゲットしたのは、スカイポッド、屋内・屋外展望台、グラスフロア、モーション・シアター・ライド、「CNタワー」建設に関するドキュメンタリー映画、を含む1番高いチケットで、なんと30ドル!!

長蛇の列を並び、まずは世界一高い447メートルの展望台、スカイポッドに上った。沢山の高層ビル、オンタリオ湖やトロント・アイランズが見渡せ、天気がいいときには、ナイアガラの滝まで見えるらしい。快晴の今日だったら、見えるかなぁと思ったけど、肉眼では無理なのかなぁと感じた。

少し下に下りると、グラスフロアの階。みんなガラス張りの床の上で寝そべって、思い思いの写真を撮っていた。なみおも寝そべって写真を撮ってみるも、なかなか下の景色も入れて撮るのは難しかった。

1階まで下り、ドキュメンタリー映画を観て、モーション・シアター・ライドに乗った。このライドは、よく遊園地にある映像ジェットコースターみたいなライドで、水が出てきたり、風が吹いたりとなかなか楽しかった。

森と湖の国 FINLAND ひとり旅 part1 <準備・出...

2010/08/24 01:08:48

いつか行きたいと思っていた北欧
でも、かなり未知の世界+今回初めて日本人サポートが全くない旅
英語力はほとんどないし。。
不安もありましたが、治安が良いとの事なのでまあ、大丈夫か・・・と
良くわからない自信??と共に出発です

~日程~
1日目 ヘルシンキ到着
2日目 タンペレ観光 アウランコ泊
3日目 アウランコ湖と森散策 ヘルシンキ泊
4日目 ヘルシンキ観光 ヘルシンキ泊
5日目 トゥルク&ナーンタリ ムーミンワールド ヘルシンキ泊
6日目 ヘルシンキショッピング
7日目 ヘルシンキ出発

毎回持ち物がとても多いので、書き留める事にします

<使ったもの>

パスポート パスポートコピー 証明写真 旅行保険コピー 現金(5万円両替+日本円) クレジットカード

スーツケース 機内用バック 斜めがけバック×2(大・小)

財布兼パスポートケース メモ帳 ペン×2 本(ガイドブック×2 英会話集)電子辞書 薬(アレルギー用 胃薬 鎮痛剤 便秘薬 下痢止め 安定剤 ステロイド塗り薬) 虫除けスプレー キンカン 洗剤 洗濯ハンガー セロテープ サロンパス ティッシュ×3 ウエットティッシュ ジップロック スーパーの袋 フォーク・箸・スプーン ソーイングセット ゴム マスク 

洋服(着ていったもの含む)・・ ワンピース×2 レギンス  Tシャツ 長T×2 ジーンズ×2 ブラウス×2 カーディガン ストール 帽子×2 ソックス ブラキャミ×3 キャミ ブラ パンツ×4 水着 サングラス ハンドタオル スニーカー パジャマ 携帯スリッパ 変圧ソックス

洗面道具・・歯ブラシ&歯磨き粉 クレンジング 角質落とし 化粧水 乳液
BBクリーム デンタルフロス ヘアブラシ T字カミソリ 制汗剤 ベビーパウダー 口紅 リップクリーム アイシャドー アイブロー カミソリ はさみ 日焼け止め ビューラー ヘアワックス 携帯用の化粧水・乳液・クレンジング(機内持ち込み用) 毛抜き 

ドライヤー 充電器(携帯・i pot・カメラ) 変換プラグ×2 湯沸かし器 紙コップ

カップラーメン スープ お茶類 コーヒー お菓子類


<使わなかったもの>

予備のカメラ 蚊取ベープ(部屋用) 折りたたみかさ ウィンドブレーカー サンダル タオル 文庫本×2 マウスウォッシュ マニキュア アロマオイル 財布(小)お菓子類 


あまり無駄なものは持って行っていませんでした
スーツケースも、行きは半分くらい空いていたし。
疲れて、夜の洗濯が面倒だったので、もう少し服の替えを持って行っても良かったのかも・・・?

 

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